- 今回のコンセプトは「昔(高校時代)に戻ろう!」ということで、関東圏を中心に遠く山形、広島、果ては台湾から総勢三十九名の参加となりました。 コンセプトにそって、初日はレクレーション、食堂での夕食、懇親会、二日目は食堂での朝食、教室での授業を行いました。 まず、初日のレクレーションは当初高校時代のレクを予定していたのですが、あまりにも学園の紅葉が美しかったので急遽学園散策とし、子供も連れながら紅葉を楽しみながら当時とは変わった学園を楽しみました(昔から学園はこんなに紅葉が綺麗だったんでしょうか?)。その後、食堂にて夕食とし、こんな味だったか?等言いながら懐かしい味を堪能しました。その後、キャンパスプラザにて横谷、窪田、松本各先生をお招きし、懇親会、更にその後キャンパスプラザ和室にて深夜まで旧交を温めました。 翌日は、食堂での朝食に続き、校舎にて松本先生の授業を受けました。授業では、麗澤ならではの内容と松本先生の当時と全く変わらぬご講義に、まさにコンセプトのとおりに昔に戻った一同でした。 今回は、宿泊付の二日にわたっての開催により、学園からは遠隔地の方および子供連れの参加も比較的多く一味違った雰囲気の中、まさしく昔に戻れた二日間でした。 次回は二年後、卒業二十周年同窓会です。再び昔に戻りましょう。 また、キャンパスプラザには多大なご迷惑をおかけ致しましたことをこの場を借りてお詫び申し上げます。(栗原克之・記)
- 51期は、松倉功和先生をお招きし、初めて関西・大阪で開催しました。 関西の同窓生を中心に遠方からも参加をいただき、総勢35名の同窓会となりました。開催場所は、41歳という年齢と大阪らしさを考慮の上、中之島の横を流れる土佐堀川沿いの「ルポンドシエル」というフレンチレストランで行いました。すでに卒業して約23年の月日が経っておりますが、横に並んで話をしていると、まるであの懐かしい時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を持った人も多くいたのではないでしょうか。 前日から大阪入りをして同窓生ゴルフを楽しんだ人、東京から車で来て京都観光を楽しんだ人など、各々に小旅行を楽しんだようです。当日は1次会の後、大阪名物、グリコの看板のある道頓堀沿いのカラオケボックスで、当時の懐かしのヒットソングに酔いしれた後、松倉先生を胴上げしました。その後、「ちょっと小腹が空いた」とのリクエストに応え、大勢で鮨をつまみ、最後は法善寺横丁の水掛不動尊をお参りしつつ、横丁のバーで最後の乾杯をしてお開き。日常の中の非日常をたっぷりと堪能しました。人生の節目であるこの年に、このような楽しい同窓会を開催できたことは非常に有意義でした。 最後になりますが、年末のお忙しい中、参加いただいた皆さんには深謝申し上げます。残念ながら参加できなかった皆さんには、2年後の同窓会でお会いできる日を心より楽しみしております。皆さんのますますのご活躍とご健康を祈念しつつ、大阪同窓会の報告とさせていただきます。 (大阪幹事/菱沼 一郎・記)
- 平成25年11月30日、廣池学園に昨年オープンした『はなみずき』で麗澤高校51期卒業生の同窓会を行いました。参加人数お子さん6名を含む40名。この日は、教員で同期の諌山(旧姓澤間)佳子さんの案内で、希望者の女子寮・男子寮ツアーもありました。今回は今までになく多くの先生にご参加頂きました。諌山寿徳先生、窪田浩実先生、黒臼稔光先生、丹羽真樹子先生、野中道男先生、松本卓三先生、吉田良二先生。特に、丹羽真樹子先生のスピーチでは、丹羽先生と諌山寿徳先生が初めて教職に就かれた年の1年生が自分達と改めて知らされ驚きの声があがりました。 同期からのスピーチの中で印象深かったのは、いわき在住の大橋(旧姓針生)則子さん。震災の頃、多くの人が送ったであろう義援金や支援の声にお礼の言葉があり、震災以降現在に至る現地での生活を、学校に通うお子さんの部活動を例に話してくれたことでした。気になる話題としては、息子がレイソル・ジュニアで活躍しているとか、長男が都内相撲部屋に入門して幕下に上がったとか。早くも次世代の活躍が期待されます!イラストレーターで大手塾のテキストの表紙も書いてるよとか、台北と日本を旅行でつなぐ旅行会社をやっているとか、結婚しました♡等々、40代半ばにさしかかったなりの仕事や家族の話の花があちこちで咲きました。二次会は駅前の居酒屋で。二次会から駆け付けた仲間も含め盛上がりました。 ご参加くださった先生方ありがとうございました。参加出来ない同期の皆さん、お元気ですか?いつかまた会えることを楽しみにしています。次回は幹事長が栗原君から仙田君に引き継がれます。現幹事グループの皆さんお疲れさまでした!(伊師千香子・記)
- 11月28日、東京・浅草、某居酒屋の座敷にて、恩師丹羽真樹子先生、お子さん三人を含む43人で鍋を囲みました。 今年は開催半月前に思いもよらぬ同期の悲報に接し、11月15日に急逝した、野村浩士君に献杯。心臓を患っていたそうでご自宅で休養中に奥様とお子さん二人を残して逝ってしまったのでした。ご冥福をお祈りします。家庭でも職場でも責任を負う場面が増え、また、気持ちと体力のバランスがとりにくい年令でもあります。多忙な中、同窓会で顔を合わせられることが有難い貴重なことに感じます。今年の参加メンバーは、同窓会常連がやや不参加の傾向、卒業以来初めてや、十数年ぶり、数年ぶりの面々が多かった。以前参加してなんとなく居場所がなく寂しい想いをしたけれど、今回は来てよかったという人、話をしていたら同業とわかり職場の問題や悩みをシェアすることが出来た人達、3年の海外勤務を終え帰国のその日に来てくれた人、年数を重ねたなりの展開があります。各々がそれぞれの思いを抱えてきているのですね。人は成長もするし、変わらないところもある、日常をスイッチして新鮮な気持ちで時間を共有できる場であって欲しいと願った一日でした。 次回は2018年3月3日です。記念すべき卒後三十年OB・OGとして麗澤高校三年生の卒業式に招いていただきます。昼食のすきやきを恩師、卒業生、保護者の方々達と囲んだ後、場所を移して旧交をあたためます。51期の皆さん、是非今から予定しておいてください。(伊師千香子・記)
- 私達はこの3月で高校卒業30年を迎えました。 振り返ってみると紆余曲折、様々な事があったので、30年があっという間とは容易に言えませんが、光陰矢の如しとは、まさにこのような感覚なのでしょう。 雲ひとつない爽やかな空の下、3月3日に卒業式が行われ、私達30年前の卒業生もその卒業式に招待され、40名の同期が参加しました。麗澤高校ではこの日をホームカミングと呼んでいます。 私の父は銀行員だったのですが、小学3年生から中学を卒業するまで、社宅のあった千葉県習志野市に住んでいました。中学3年生の時に父がシンガポールに赴任する事になり、寮のある高校をいくつか検討した結果、柏市にある全寮制の麗澤高校に行く事にしたのです。私達が在籍していた頃は全寮制でしたが今は多くの通学生を受け入れており、全寮制ではありませんが、今でも学生寮はありその伝統は受け継がれています。 卒業式(正式には卒業証書授与式だった事も何故か新鮮に感じた)のプログラムの中で校長先生や学校関係者の祝辞も素晴らしかったのですが、在校生代表による送辞、卒業生代表による答辞は高校生とは思えない素晴らしい内容で私自身が大変感動しました。また、私達の期を代表して大井慎太郎君が来賓を代表して祝辞を述べる場面もあり感慨深いものがありました。 ここでその祝辞の一部を掲載させていただきます。
- 今の私はといいますと滋賀でバラの切り花の生産をしています。いわゆる花を作る農家です。 農業の魅力はいろいろありますが、私が1番いいと思っているのが、自分の長所を活かし、自分に合った、自分らしいやり方でできることです。 ちょうど私が卒業したころまでは、花に限らず、作れば売れる時代でした。基準は単純で、いいものを作る人が評価されました。 今はいいものを作るだけで生き残れるのはごく一部の人です。販売方法を工夫する人、無農薬などこだわった作りをする人、珍しいものを作る人など、いろいろなタイプの人が成功しています。 私は作るのが好きで、珍しいもの、新しいものが好きなので、色や形、香りなど特徴があり、魅力を感じるバラをしっかり手をかけて作りこみ、提供することを目指しています。あまり知られていないバラの魅力を多くの方々に伝えるため日々努力しています。 農業と同じで、人の評価基準も30年前は単純で、成功のパターンがあったと思います。今はとても多様化していて、ある人がいいと思っても、ある人はピンとこない、結局自分がいいと思ったことを突き詰めていけばいいのかなと感じています。 皆さんにはたっぷり時間があります。高校を卒業した後は、今までと比べものにならないほどいろいろな選択肢があります。しっかり自分を向かい合い、ひとつに決めてやるのもよし、いろいろやるものよし、決めるのは君たちひとりひとりです。自分らしい選択ができるよう頑張ってください。
- また、このホームカミングで忘れてはならないのが、卒業式の後の会食です。 私達が卒業した時にもいただいたのですが、卒業式記念会食では「すき焼き」をいただく事になっています。そしてこの会食にも私達を招待してくれるのです。 卒業生や彼らの保護者、学校関係者に混じり、私達もすき焼きをいただきながら、懐かしい友と思い出話や近況話に花を咲かせました。 卒業式の後は、同期の皆で新しく増築された校舎や新しく建てられた寮の見学をしたり、先生方と歓談をして夕方には場所を変えてホームカミング同窓会に参加して来ました。 同窓会には、私達の入学式で全生徒のフルネームを179(いなく)てはならない存在とフルネームで呼んでいただいた米谷先生、ユーモア溢れる物理の授業が印象的で現在は入試広報部長をされている窪田先生、そして私達51期が最初の担当だった松本先生(私は松本先生のクラスでした。)にご参加いただきました。同窓会には昼の部よりも更に多くの70名の同期が集まりました。30年間一度も同窓会に参加した事がなかったり、転校した同期が参加してくれて、時計の針が30年前にタイムスリップしてしまったような楽しくて、不思議な時を過ごす事ができました。 今回、卒業30周年ホームカミングに参加する事ができて、3つ嬉しかった事を挙げるとするならば以下の3つです。 (1)長年会えなかった友人との再会を果たせた事。 (2)母校の進化を感じる事ができた事。 (3)自分自身が元気に参加する事ができた事。 フレッシュな高校生達を見ながら、当時、私自身は30年後の自分がどうなっていたいと考えていたのだろう?と当時の自分に語りかけていました。自分の将来像を描けずに漠然と有り余る力をラグビーに注いでいたような気もするし、また、日本国内だけで仕事をするイメージは描けず、海外で働きたいというボヤっとした夢を持っていたような気がします。
- 高校を卒業し、大学に入り、卒業後には商社に入社し、想像とはかけ離れた厳しい新人時代を乗り越え、多くの失敗や苦しい経験を経て(勿論、いくつかの成功体験もあり)起業を果たし、今のような仕事(生活)をしているとは想像もしていなかったでしょう。 私達は今年49歳を迎えます。 社会人としては、まだ若いという見方もあるのかもしれませんが、私自身はとても焦りを感じています。一つは体の健康です。残念ながら、高校同期の友人2人が病気で他界しています。社会人になってからの友人を考えると残念ながら他界した友人が数名います。50歳を間近に控え、心身共に健康である事が奇跡のように感じています。もう一つは事業の成長です。私は仕事をする上でまずは体力がないと気力も湧いてこない、気力が萎えてしまっては、知力も発揮できないと考えています。従って健康は、当然ですが、事業の成長のためにも最優先事項だと考えています。健康である事が少しづつ難しくなってくる年齢になってくる一方で(幸い今はとても健康ですが)私には55歳までに成し遂げなければならない夢があります。それは、 「日本の中小企業の世界展開の仕組みの土台を作る」というものです。今はこの夢に向かって毎日奔走できる幸せな日々を過ごしていますが、様々な観点で、いつどんな事が発生するか分からないという不安をいつも抱えている事も事実です。 確かな事は人生には限りがあって、時間はかなり限られているという事です。 30年前にはそのような実感は全くありませんでしたが、今では強くそう感じています。1日、1時間、1分、1秒を大切に過ごさなければならないと。 今回、ホームカミングに参加させていただき、様々な事に思いを寄せる事ができました。育ててくれた両親や家族、学校の先生方や仲間達、命を繋いでくれた祖先にも改めて感謝の気持ちを持って初心にかえって頑張ろうと思いました。 30年間の期間を経て、私達は様々な苦労や経験を重ねてきたと思います。 そして大井君が祝辞でも述べたように価値観も大きく変わっていると思います。 そしてこれからも変わり続けていくでしょう。 卒業生の皆さんにはそういった世の中の環境の変化に順応し、日本国内だけでなく、世界を舞台に活躍をして欲しいと願っています。 菱沼 一郎・記