- 春うらら、桃の節句の正にその日、麗澤高等学校第73期生の卒業式に、25期生はお招きの栄に預かりました。在校生による吹奏楽演奏での239名の入場は、麗澤魂を胸に秘める頼もしい姿でした。式次第に添って厳粛に進む中、半世紀前に千英校長先生より「人のいやがることを進んでやりたまえ……何かあったら、いつでも帰っていらっしゃい」との式辞の一節と、廣池博士の「ここで学んだことは将来大したことになりますよ!」のお言葉が、心にズシリと去来した素晴らしい時間となりました。続いて記念会食での恒例のすき焼きパーティ、懐かしく、心もお腹も満たしていただき、絶えることのない伝統的な式に言いようのない喜びでした。 前日には25期のホームカミング同窓会が企画されており、掲載の写真のように恩師5名を囲んで33名が集い、思い出話からその後のご苦労を含め、現在の幸せなジジ・ババ振りを披露する楽しい時を過ごしました。「太陽が東から昇るのを疑うのか!の母の一言で入学を決意した」「恩師にありがとうが言いたくて来ました」と言う人、また「学園がこのように変化発展していて迷子になりそう」、今だから話せること、などなど青春を共にした寮生活ならではの話題が尽きない2日間となり、幸せと感謝でいっぱいです。ちなみに私たちの入学式当日の昭和34年4月10日は、今上陛下のご成婚の日で、学園は満開の桜、その下を心弾ませた少女時代が昨日のように思い出されました。(光恒志津子・記) 偶 作 (田中修明) <同窓会> 卒業式に招かれて同期会 学舎(まなびや)は広場となりぬ木の芽風 ひとつ釜の自由と規律卒業す 金縷梅(まんさく)や米寿卒寿の師も御座(おわ)す 桜の芽ひとりひとりに笑まれつつ <卒業式> 登壇のこゑの凛々(りり)しき卒業生 制服の肘のふくらみ卒業生 先輩の祝辞に勇気卒業生 自らの進路答辞に卒業生 食堂に礼する母と卒業子
- 3月11日に東日本大震災が発生、同窓会の参加取消しが相次いだ。幹事の石坂隆禮君に開催すべきか否か判断を仰いだ。連日伝えられる悲惨な報道の通り、未曽有の災害に見舞われた被災地の惨状を思うと不謹慎ではないかと、彼も苦慮したようだ。しかし、「復興には義援金で協力、被災者には祈りを捧げて、我々は粛々と日常生活を営むべし。たとえ参加者数が激減しても開催する」という結論に至った。結果119名への案内のうち、当初の60名から48名の出席となり、予定通りの開催となった。 4月4日、会に先がけて世界遺産である宇治の平等院を拝観。紫式部の源氏物語の世界に浸ったあと、夕刻から木戸孝允旧跡「お宿いしちょう」での宴会が始まった。まず、東日本大震災の犠牲者への黙祷、恩師・長谷川武先生から元気溢れるお言葉をいただいた。なかでも懐かしい千英先生のお話が印象深かった。そして、北川治男君の中・高等学校の近況報告のあと全員のスピーチとなった。ぜひ聞いてもらいたいと、なかなかマイクを放さない人が続出、司会の村山裕治君がマキを入れるシーンが再三あった。 最後に次回の開催地確認となったが、来年は本部で開催し、恩師の先生方全員にご出席いただこうと決定した。 翌5日は平岡八幡宮で椿を観賞、「しょうざん」で京風のお弁当、平安神宮では紅しだれ桜の雅なお庭を巡り、祇園歌舞練場で「都をどり」を観るなど京都情緒を十分に堪能した。また、6日は16名が2班に別れ、西加茂の正伝寺、一般公開中の京都御苑、秀吉の花見を想起させる醍醐寺などを巡り春の京都を満喫した。(松本真明・記)
- 私達25期は昨年11月28日から29日、高校卒業五十周年記念同窓会を恩師六名をお迎えし、四十五名ものたくさんの参加でキャンパスプラザ・はなみずき・研修寮と楽しい時間をいっぱい持つことが出来ました。卒業後初めて学園を訪れた同期もたくさんでした。そして一度も会うことなく物故者にと悲しい、さみしい気持ちにもなりました。 三年間、楽しく学び生活させていただいた恩返しもこの年までしてなく、同窓会でも会いおしゃべりするだけでなく、このすばらしい博士の教えを伝えれる維持員となり一年に何回でも学園を訪れ同期や先生、先輩後輩にお会いでき、家族や周りの人にお伝えできる恩返しでなく、「恩送り」のこれからに皆でできたら・・・。ニューモラルやれいろうをお配りすることから始められたら良いですね。今年の十一月には谷川温泉で古希の祝同窓会でまたお会いできるのを楽しみにして筆を置きます。(相川敦子・記)
- 紅葉もそろそろ見頃になろうかという10月28日、「達古稀」記念同窓会を谷川で開催しました。21年に伊勢に集って以降、学園、京都、そして昨年の卒業50周年記念と5年連続の開催となりましたが、老いて?ますます意気軒昂の36名が秋の谷川を満喫しました。 当日、谷川講堂に到着すると今井、室野、速水さんたちがウエルカムドリンクとして抹茶のお手前と金沢の銘菓でおもてなしをしていただき一同感激、また、オリエンテーションでは冒頭に櫻井君のリードで全員揃って「述懐」を朗詠、一気に50余年前の麗澤健児にタイムスリップしました。続いて、会食や2次会はいつものように相川君の司会で進行、全員が夜の更けるのも忘れて語り合いました。また、伊藤君が編集してくれている栞「会う」が今回も手元に届き、参加者はもちろん参加できなかった人たちとの絆もしっかりと繋ぎとめてくれました。 なお、古川君より26年10月26・27日岐阜での開催が力強く発表されましたので、岐阜の皆さんの歓迎に応たえるべく、しっかり健康管理をして再会しようと誓い、谷川を後にしました。(淡島成高 記)
- 昭和三十四年四月十日、天皇皇后両陛下が御結婚なされた正に記念すべきその日に、麗澤高等学校に入学した私達麗澤二十五期生は、十月二十六日(日)、岐阜は金華山の麓、長良川清流の河畔、ホテルパークにて同窓会を行いました。 一昨年十一月に卒業五十周年記念同窓会を母校で、又昨年十月には「達古稀」記念同窓会を谷川で行っていますので、今回は参加者が少ないだろうと思っていましたが、何と老齢ながら元気な紳士二十五名・淑女二十四名が集まりました。 期代表世話人、石坂隆禮君の「昔の思い出を懐かしむだけでなく、健康を始め、いろいろな問題についての情報交換の場にもしよう。又これからも毎年集まろう。」という挨拶から始まり、北川治男君の乾杯の発声、食事をしながらの近況報告、来年は台湾で、再来年は敦賀で開催する事を決め、そして会場世話人の古川定邑君のお礼の挨拶、最後は恒例の「暁鐘」を歌って一次会は終わりました。 翌日は心配した雨も止み、希望者で岐阜城を見学し、古川君が経営する「川貞」で最近はめったに口には届かないうなぎをおいしく頂き、解散致しました。 それにしてもこの様な温かく固い絆は、わずか三年間でしたが、寝食を共にし、モラロジーに基づく師弟同学、師弟共学の賜物であると改めて強く感じた次第です。 最後に裏方役を一手に引き受けて下さった伊藤忠篤君に深く感謝します。有り難う! (鈴木貞夫・記)
- 紅葉が美しく映える11月28日・29日、麗高14期、麗大5期・麗澤会25期の合同同窓会を開催しました。Part1は帝国ホテル・菊の間でのランチブフェ、米谷豊先生、大学の森川正大先生を迎え39名が参会、相川君企画の高級ホテルでの料理やワインを満喫しました。その後、バスで学園に移動、22期同窓会が主催された、武政校長と麗高生による「麗澤の今」を語る会に出席、しばし若かりし日の寮生活を思い出しながら感慨に浸りました。 Part2はキャンパスプラザ会員会館にて、池田裕先生、米谷豊先生に大学の谷口茂先生、田中駿平先生の恩師を含め43名が集い、秋の夜長を久しぶりに語り明かしました。なお、会の冒頭では石坂隆禮君の逝去で空席になっていた期別代表に相川修治君を推薦することを決定しました。また、再来年には彦根で再会しようと名倉(浮穴)君が手を挙げてくれました。 29日は新装なった新食堂「けやき」にて高校生たちと朝食をとり、学園の紅葉を愛でながら散会しましたが、何名かは米津君が企画した柴又帝釈天のお参りをし、鰻を食べて江戸情緒を味わうなど思い出深い2日間を過ごしました。(淡島成高・記)